“東浩紀
GEISAI大学っていう村上隆(Kaikaikiki)が主宰してる講演会を申し込んだ。
1回目は東浩紀。
とりあえずメモ帳にメモしたことをメモ。メモを起こしただけなので、内容には不正確な部分があると思いますが一切責任はとりません。つうか、これ他人が読んでもわからないよね。
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・批評や思想がわかりやすい心理学化している。
・「ニートな俺、メンへルな私」という現象がほとんどの分野でおきている。
・「動物化するポストモダン」は社会学ではない。
・中沢新一や浅田彰は「何の役に立つの?」というカンジで世間に受け入れられなくなってる。
→それは不自由なことだ
・文学や美術の世界において、ふつう作家は美しいものを作ろうとする。
・しかし、オタク文化は消費者の欲望をそのまま具現化する
・作家と消費者の欲望がダイレクトに繋がっているのがオタクポップカルチャー
・ハイカルチャーだけではなく、ポップカルチャーも形式的(フォーマリスティック)だ。
→仮面ライダーディケイドの例
・ディケイドは思想の最先端!1Q84よりヱヴァよりディケイド。
・カードを選んで戦うという方法が商品、ゲームそのもの。
・カードを身にまとっているという、かなり悪趣味なルックス。
・美しい、かっこいいとは彼方の世界にある。
・子供はそれをカッコいいと思っている。
・かなり形式的に作られている。
・アニメ分析とか世代論に意味はない。
・ディケイドがどうのこうのと言ったって、あんなものを世間(時代)が求めてるわけがない。
・浅田彰「アニメやインターネットという土俗的な、ちょっと頭の悪いところから思想なんかを引っ張ってきて東君偉いよね」→アニメやインターネットを下に見るという価値観が違う!・デリダは実は難解ではないんじゃないか?というところからスタート。
・本を読んでいてわかる文章とわからない文章がある。
・わからない文章にとりあえず「()」括弧をつける技術。保留しておく。
・それをやったら読めてしまった・批評は価値の変換システム
・変換を噛ませればフラットになる
・90年代的なテーマは「心が成熟しているか」「いい大人とはなにか」
・それは虚偽問題だった
・子供が出来ちゃえば生物的に親になる。その程度のこと。
・「大人っぽくならなければならない」ということにとらわれている。
・子供のままでいることと、社会に関わることは両立できる。
・「選挙に行く」「社会について考える」という大人としての公共性は約束事(フォーム)にすぎない
・選挙は古いシステム
・ひとりひとりは個人で動き、トータルで公共性に繋がるシステムをつくっていけば良い・美術も批評も長くやっていると成熟しようとする
・そうじゃない状態でいることは難しい
・「成熟するのが難しい」のではなく「成熟しないほうが難しい」
ヱヴァ破について
・新劇場版で気に入ったのは使徒のデザインだけ
・日本のアニメがモンスターをどう描くか
・破の使徒は分子構造的な、幾何的なカタチをしていてあきらかに人間らしいカタチをしていない。
・ウイルスっぽい。人間ではない進化の可能性。
・よくできたエンターテイメントになってる
・トウジのアップの多用は旧作をみていた人しかわからない、など突っ込みどころはある。
・つまり二次創作的エンターテイメント
・SF的リアリティはない
→なんで人があんないるんだ
→赤い海で生物がうんちゃらいってる後ろには緑色の木々がバッサーみたいな・旧エヴァは90年代を代表するものではない。時代が求めていたわけではない。
・旧エヴァはシンジや綾波やアスカがテンパってピリピリしてた
・破ではフツーのキャラに成り下がっている
・綾波は弁当つくるし。
・アスカはもっと悲惨。「アンタ馬鹿ぁ?」で出てきた直後に料理しちゃってるし。・エヴァはいわゆる世界系のハシリ
・世界系の定義とは遠景(セカイ)と近景(わたし)をダイレクトに直結させた作品のこと。
・しかし破では中景を描写している
・大人は作品から意味やメッセージを読み取ろうとする
・子供はカッコいいからみる
・芸術作品から物語や意味を求める方向に向かっている
・「現実」(いいかえると「成熟」)を後押しするものが評論になってしまっているが、そうではない
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ちなみにヱヴァ破については、講演中に少し触れられて、質疑応答のときにあらためて質問しました。俺が。
毎週のように評論家やキュレーターにヱヴァのことを質問する私。